読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

規則と意味のパラドックス(飯田隆)

○後期ウィトゲンシュタインについて


「哲学的誤解はすべて、われわれが自身の言語を誤解するところから来るのだが、それを正せばもはや誤解におちいらないですむような、言語に対する理解の仕方があるわけではない。

むしろ、われわれが日常的に用いる無数の言い回しのひとつひとつに罠が仕掛けられているのであって、そのそれぞれに対して対処の仕方は違うのである。」(p.127)


ことばを論理学的な記号に置き換える考え方はこの点で危ういと思う。

「犬は犬です」は「A=A」と置き換えることはできないということ。



○推論は技能知である(p.190-)

自転車にのれるようになるように、推論もできるようになる、ということ。

推論は明示的規則からなるものではなく、経験から身について自然と行われるもの。理性とか頭でっかちに考えて行うようなものではない(ことが多い)。


脳科学の方の、小脳が運動だけではなくて推論などにも関係しているという最近の研究もいってることは同じ。



「推論を正当化するためには推論のルールは何ら必要ではない。というのももし必要であったならば、そのルールを正当化するための別のルールが必要であったであろうし、それは無限後退に導くであろうからである。」(『ウィトゲンシュタインの講義I−ケンブリッジ1930−1932年』p.107)


と。