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ボードレール書簡(5)

けにち ボードレール 書簡

オーピック大佐宛(パリ 1838年7月17日)
 

ヴェルサイユへ行きました。王[=ルイ=フィリップ]が、あらゆる王立の学校をヴェルサイユ見物に招いているのです。こと絵画に関して何も知りませんから、僕の言うことが正しいかどうか分かりませんが、良いタブローは数えるほどしかないと思われました。ひょっとして馬鹿なことを言うかも知れませんが、オラース・ヴェルネの何枚かのタブロー、シェフェールの二、三枚のタブロー、ドラクロワの<タイユブールの戦い>を除けば、 何の思い出も残ってはいません。

 
ボードレールが見学したのはヴェルサイユ宮殿内の展示室『戦闘の回廊』

⇒1833年:設計・建築開始→1837年6月10日:落成

フランス史上の戦争画が集まっていたこの大広間を、手紙が1838年なのでつまり落成から一年あまりの時分にボードレールは見学したことになり、後に追加展示されるものを除けば、ボードレールがこの時に目にしたと思われるのは以下の絵画ということになる。

オラース・ヴェルネの何枚かのタブロー

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 Bataille de Friedland, 14 juin 1807(1836)

 

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Bataille de Wagram, 6 juillet 1809(1836)

 

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Bataille d'Iéna, 14 octobre 1806(1836)

 

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Bataille de Bouvines, 27 juillet 1214(1827)

 

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Bataille de Fontenoy, 11 mai 1745(1828)

シェフェールの二、三枚のタブロー

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Bataille de Cassel, 23 août 1328(1837) Henry Scheffer

 

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 Charlemagne à Paderborn  (1837)Ary Scheffer

HenryとAryは兄弟ね。

 

 ドラクロワの<タイユブールの戦い>

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Bataille de Taillebourg [1242] (1837)


オラース・ヴェルネについては『1846年のサロン』でボロクソ言うことになります。

 

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La bataille d'Isly [1844] (1846年出品)

 

オラース・ヴェルネ氏は絵を描く軍人だ。ーー太鼓のどろどろと鳴る音に合わせて即興されたこの芸術、駆歩で塗りたくられたこれらのカンヴァス、ピストル射撃で作り上げられたこの絵画を私が憎むのは、軍隊を、武力を、平和な場所に騒々しい武器を引きずりまわすものすべてを憎むのと同様である。このとてつもない人気、… いや、この「民ノ声は神ノ声」は、私にとって一個の圧制に他ならない。

私がこの男を憎むのは、彼のタブローがいささかも絵画ではなくて、敏捷かつ頻繁な自慰行為であり、フランス人の表皮の刺戟であるからだ。

彼こそは芸術家というものの絶対的な反定立である。彼はデッサンに代えるにシックをもってし、色彩に代えるにどんちゃん騒ぎ[シャリヴァリ]を、統一に代えるにいくつものエピソードをもってする。彼はメソニエ張りの絵を世界のように大きく作るのだ。

Pour définir M. Horace Vernet d’une manière claire, il est l’antithèse absolue de l’artiste ; il substitue le chic au dessin, le charivari à la couleur et les épisodes à l’unité ; il fait des Meissonier grands comme le monde.

 
メソニエを引き合いに他画家をディスるさまは『群衆の中の批評家(阿部良雄)』でも冒頭から描かれていて、メソニエの携わるタブローを「顕微鏡的絵画」(『葡萄酒とハシッシュについて』)と形容したやり方そっくりに、次のように批判している。

オラース・ヴェルネ氏は二つの卓越した資質に恵まれているが、その一つは資質の欠落、もう一つは余分な資質である。情熱がまったく欠けている一方、暦さながらの記憶力なのだ![ l’une en moins, l’autre en plus : nulle passion et une mémoire d’almanach ]おのおのの制服にボタンがいくつあるか、数多くの行程を経て形の崩れたゲートルや靴はどんな様相を呈するのか、革具のどの場所に武具の銅がその緑青の色調を捺すものであるか、彼よりも良く知る者があろうか?だからして、何という巨大な公衆、何という歓喜!軍服や、歩兵帽や、サーベルや、銃や、大砲を製造するのにさまざまな職業が必要なのと同じだけのさまざまな公衆!そしてオラース・ヴェルネの一枚の絵の前に、栄光に対する共通の愛によって結集されたこれらすべての同業組合!何という見もの[スペクタクル]!

 
・・・眠くなってきたので流し

手紙に戻ります

 

さらにもう一つルニョーの、ジョゼフ皇帝の結婚式か何かを描いたタブローは例外として。しかしこのタブローは、まったく違ったやり方で際立っているのです。きわめて美しいと言われている帝政期のタブローはすべて、かくも規則的、かくも冷たく見えることが多い。その人物たち は多くの場合、木々のように、またはオペラの端役たちのように、きちんと並んでいます。かほどに賞めそやされてきた帝政の画家たちのことをこんな風に語るなんて、僕としてたぶんまことに笑止なことです。事によると出まかせにしゃべっているかも知れません。しかし自分の印象を報告しているだけです、事による とまた、ドラクロワを天まで持ち上げている「プレス」紙の記事を読んだ結果かも知れませんね。

 

ルニョーの、ジョゼフ皇帝の結婚式か何かを描いたタブロー

 ・・・これが見つからぬ

 

https://www.histoire-image.org/sites/default/contrat-mariagef.jpg

Marriage of Prince Jérôme Bonaparte and Frédérique-Catherine de Wurtemberg(1810)

Jérôme Bonaparte はナポレオン3番目の弟・・・ただ皇帝にはなっていない。もうひとりボナパルト家にジョゼフがいるものの21歳で未婚のまま夭折。つまり「ジョゼフ皇帝の結婚」とは調べる限り歴史的事実としてないはずなのだけど、若きボードレールの適当さで皇帝になってないけどしてしまったいう身も蓋もない線で終わります眠いので。さようなら。

 

(『ボードレール批評4』 阿部良雄訳 / ちくま学芸文庫