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群衆の中の批評家 シャルル・ボードレール(阿部良雄)

けにち ボードレール

群衆(=ブルジョワ)が展覧会で見入っている絵画。

それは「蠅の飛ぶのまで目に見えるほど微細な筆遣い」の為せるわざであり、その写実性こそがブルジョワを惹きつけているのだが、その光景を思い浮かべるだけで、その絵画はなんとなく下らないものだと思えてしまう。

ボードレールはそれを下らないで片づけはしなかった。

「人の気に入るものはすべて気に入るだけの理由があるのだし、道に迷った者たちの群がり集っているのを軽蔑したところで、彼らをそのあるべきところに連れ戻す手立てとなりはしない」*1

 

というのは、ボードレールも「抗いがたい牽引力」をこの絵画に感じていたからではあるのだが、ではブルジョワボードレールの違いとはなんだろうか。

ブルジョワ>との同一性を意識した上で、そのような意識作用を言語作業化するそれだけの飛躍のうちに、… 同一性の認識を距離に転化する、つまり自意識が批評と同義語であるような文学の鍵が存在し得た…

つまり”どうして心動かされたのか”、それを言葉にできるか否かということだという。

そこで問題は、ブルジョワに対して、批評家たるものはいかなる態度を取るべきか、ということになる。しかし、そのような態度の「選択」の問題ではもはやなくなっていた。というのは、年々官展の入場者、つまり展覧会にやってくるブルジョワの数は増えており、ひと昔前のようにヨーロッパの王侯貴族や限られた階層に向けてではなく、ブルジョワ相手に美術を論じることが批評家の任務であることは「事実」になっていたからだ。

ロマン派華やかなりし頃の<芸術家>的な蔑視あるいは無視をもって<ブルジョワ>に対することは、もはやあり得ぬ選択になっていた

ボードレールは、ブルジョワを蔑視する同業者を批判する。

「ダニューブ河の農夫たるG・プランシュ氏[ロマン派の批評家]、…、その臆面もない仲間ぼめの数々によって、『サロン』と呼ばれるこの有益な虎の巻にブルジョワが愛想を尽かすように仕向けてしまったのである」*2

ある意味で時運を見抜いている批評家としてのボードレール。(ただもちろん、ブルジョワが、批評家の言を参考にして、より良い絵画を愛するようになるとはまったく思ってはいない)

ブルジョワに対して、批評家たるものはいかなる態度を取るべきか?

これから1850年代、60年代にかけて美術史上に、芸術家と公衆の断絶と呼ばれる現象が起こるのだとしても、出発点のところではむしろ逆に、公衆との間に新たな疎通の関係を打ち立てようとする意図が一部の芸術家・批評家の側にあったと考えることができる。

ボードレールは言う

「…ブルジョワは…大いに尊重すべきものである」 *3

さらには「ブルジョワ」という言葉は無くしたほうが良いとまで

「というのもそれ[=ブルジョワという語]は、そんな語[=ブルジョワ]にもはや値しないようになることをこの上ない願いとする者たちにも、自分がそれにふさわしいとは少しも気付いたことがない者たちにも、等しく適用され得るのだから」*4

翌年もサロン評の序文でこんな具合にブルジョワを焚きつける

「諸君は多数派である」*5

「思想の貴族主義者たち、賛辞と非難の分配者、精神的な物事の独占者たちは諸君[=ブルジョワ]に語った、諸君は、感じ享受する権利をもたぬと」*6


2年後の2月革命で労働者側にたつボードレールを思えば、こうしたブルジョワ支持は奇妙に映らないでもないが、それではボードレールブルジョワをどのように定義していたのか?

☆ 

ボードレールは、ブルジョワを、有閑階級(余暇があるひと)の対立軸としてみていたという。

結局、暇がないから、ブルジョワは仕事を終えたあとのわずかな時間でしか美術に触れられない。

そのとき、ブルジョワが本物の美に触れることを妨げるのは?

ブルジョワ芸術家」だとボードレールは看破する。サロン審査に携わり出品を決めるブルジョワ芸術家たちが、ブルジョワ芸術家の内輪で出品リストを決めてしまい、ドラクロワや、後世ならばマネのようなものがブルジョワの前に出されず済まされてしまう。

ブルジョワ芸術家」打倒のためにブルジョワを啓蒙するボードレール

しかしその啓蒙の仕方は、ブルジョワが醜いものすべてを退けるようになることを目指すようなネガティブでユートピア的なものではなく、ブルジョワが気づいていない美を、美しいと宣言すること、そういう現実主義的なところがあった。

それは、トレ[美術批評家、共和主義=社会主義の論客]が現代人の服装…は醜くて絵にもならぬとこぼすのと正反対に、いやそこには独特の美があるのにわれわれがまだその美に対して目を見ひらいていないのだと敢えて宣言することと、表裏一体をなす

ボードレールのサン=シモン主義?

フーリエプルードンとの関係を考える方が主流だが、サン=シモンの定義する「産業人」とボードレールが呼びかける「ブルジョワ」はほぼ一致する。

この時代の知識人や芸術家の間でフーリエ主義よりはサン=シモン主義の方に人気が集まっていたとすれば、それはどうやら、ファランステールが哲学者や詩人を容れるべき場をもたぬていの理想郷と考えられたのに対して、サン=シモン主義の方は、現在の社会における文学者・芸術家の戦闘的役割についての理論的基礎を与えただけではなくて、来るべき社会の中で文学や芸術の占めるべき名誉ある地位についての像を与えてくれたからであるようだ。


そしてサン=シモン主義にたつとき、芸術の享受面でも

すでに芸術は多数者の肉体的・精神的均衡に欠くべからざるもの、従って社会の均衡に欠くべからざるものとしての有用性、すなわち制度としての存在を意識し、主張することができるのだ。

 

ともかく芸術はひとつの社会制度であることが明白になった。

批評も変わらなければならない。

美それ自体や芸術家のための批評ではなく、「新しい公衆の形成と教養の普及」としての、芸術享受者ブルジョワのための批評。というのは、ブルジョワは美の規範や製作上の規範を述べる従来の批評には寄り付かず、それよりも美しさの快楽にまずは身をゆだねるのだから。(ちなみにディドロはその先駆けであった)

批評にとっての第一要件はやはり、一般読者すなわち「ブルジョワ」にとって面白いということでなければならない。

「私の心底から信ずるところ、最上の批評とは、面白くて詩的な批評のことである。ああいった、冷静で代数学めいて、すべてを説明し尽くすという口実の下に、憎しみをも、愛をも持たず、いかなる種類の気質をも意志的に脱ぎ棄ててしまうていの批評ではない。そうではなくて、--一枚の美しいタブローとは一人の芸術家によって反射された自然なのであるからーーこのタブローがさらにまた一個の聡明で感受性ある精神によって反射されたものであるような批評をいうのだ。従って一枚のタブローの最上の解説は、一篇のソネあるいはエレジーであり得るだろう。だがこの種の批評は、詩集向き、詩的な読者向きのものだ。本来の意味での批評はといえば、これから私の言おうとするところを哲学者たちは理解してくれるだろうと私は期待する。正当であるためには、つまり存在理由をもつためには、批評というものは、偏向的で、情熱的で、政治的でなければならない、つまり、排他的な観点、だが最も多くの地平を開く観点に立ってなされなければならない。」*7

 

自然 →(芸術家による反映)→ タブロー →(感受性ある精神による反映)→(言語化)批評 ≒ 詩作

という自己充足的運動ではなく

批評は、何ものかへの働き掛けという行為-言うならば、男性的な、突出的行為

批評家とは「憎しみ」をもち「愛情」をもって働きかける主体、その「気質」が時として激発することもあり得る主体だ

 

このようにして、ボードレールは「批評家」として都市の公共の場に「ブルジョワ」を通じて介入する。そしてそのとき批評は啓蒙の性格を帯びる。「蠅の飛ぶのまで目に見えるほど微細な筆遣い」で「仕上げ」た絵が実は決して「出来て」はいないのだ、ということを啓蒙しつつ、啓蒙の難しさによる捨て台詞もはく。

「だが公衆の目は、光り輝く、小ざっぱりした、巧妙に磨き上げられた作品にすっかり慣れてしまったので、彼にはいつも同じ非難が浴びせられるのだ」

 

一方「仕上げ」ていないものをボードレールに褒められた画家のコロー。

コロー自身はしばらく頑なにそれらは「出来て」いないと主張するが、だんだんと「仕上げ」ていないけれども「出来て」いる作品(=「仕上げ」る必要のない作品)を、世に出すようになっていく。

これは、ボードレールの公衆の嗜好に働き掛ける批評(丹念に「仕上げ」ていても「出来て」はいないぞ)が、間接的に芸術家にも届いたのではないか。

1845・46年のサロンをしめくくる画家への呼びかけにしても、まずは大衆に向けて、そういう空気を醸成するために言っているのではないか。

叙事詩のために欠けているのは主題でも色彩でもない。その人こそは画家、真の画家であるだろう、今日の生活からその叙事詩的な側面をつかみ出し、色彩またはデッサンをもって、われわれがネクタイを締めワニス塗りの長靴を履いたままで、いかに偉大であり詩的であるかを、われわれに見せ、理解させてくれることを能くするであろう人こそは。*8


このブルジョワに向けられた呼びかけ・宣言・批評というものについて、画家を相手取ったときの弱み(専門的な議論の必要性)を避けるためではないかという見方をする者もいる。確かにそれは一理あるし戦略かもしれない。

ただ、ボードレールは、享受者ブルジョワの嗜好を自らの宣言によって変えることで、芸術家に圧をかけることが近道では、と考えたのではないか。

しかし、こうした態度は、享受対象としての作品はなんでもいい(「いかに偉大であり詩的であるかを、われわれに見せ」てくれさえすれば)、享受主体としての鑑賞者もだれでもいい、という相対主義に陥るのではないか。

確かに古典的な宗教・神話・歴史への参照から脱却することは、民主主義的な性格を帯びるだろう。しかし、良い絵を見せさえすれば誰にでもたちまち理解できるということにはならないだろう。

「絵画とは深い推論の芸術であって、それを享受すること自体、特別な秘儀伝授を必要とする」*9

これについてはルソーも、文学・芸術の発達は人間の不平等を助長する、といっている。

こうして教育の問題、ボードレールが提起した「啓蒙」の問題へと繋がっていく。

☆ 

1855年のパリ万博美術部門を論じるボードレール

一つの体系に閉じこもって、その中で思い通りに説教をしようと試みたが、たえず思いもかけぬものがあらわれ体系の変更を迫るため、幾度か基準を移動させ拡大することを試みたあげく「私は感ずることで満足した」と相対主義の告白をしている。

一切の責任放棄、気まぐれな判断の擁護を導かせるものであり、ここにボードレールの責任と犯した罪をみてとることもできるだろう。

しかし、そうであっても、ボードレールは完全な無知をすすめはしなかったし、ボードレールの態度には歴史に鑑みて「政治的」な選択があったのではないかと検討する必要がある。すなわち、歴史家の視点からみるということ。

現代まで通ずる連続した歴史問題としてボードレールの意義や責任をあげつらうのではなく、ボードレールにとってのモデルヌ<現代><同時代>を考え、彼の態度や選択をその当時の緊張状態の下において考えること。

ボードレールを一つの始まりとして何かが確かに起こったのだとしても、その起こったことが何らかの意味でわれわれの時代まで連続する意義をもつなどと考えずに、ボードレールの意識と言説を、むしろ歴史の非連続性の中で捉えること。

そうすることで、ボードレールの言説を扱うとき、既視感ある議論へと回収されずに済むことになる。

クールベの孤独な戦いにせよ、印象派の画家たちの世に容れられぬまま自らの選択に忠実であり続けた事蹟にせよ、一応は緊張として認識されていながら、その緊張が芸術における<近代>の決定的成立に向かって収斂し、やがてはそこに解消されるためにのみ緊張であったかのごとくにみなす、いわば予定調和的な進化論が、いつのまにか、われわれの歴史的認識の基調をなすものとなっていはしないだろうか。言い換えれば、<近代>を、一回こっきり成り立ってしまったものと考える習慣が、いつのまにかわれわれに染みこんでしまっているかも知れないのだ。

 

( 『群衆の中の芸術家』 阿部良雄 / ちくま学芸文庫

 

*1:『1845年のサロン』

*2:『1845年のサロン』

*3:『1845年のサロン』

*4:『1845年のサロン』「序のことば」

*5:『1846年のサロン』

*6:『1846年のサロン』

*7:『1846年のサロン』「批評は何の役に立つか?」

*8:『1845年のサロン』

*9:『1846年のサロン』

ボードレール書簡(4)

けにち ボードレール 書簡

オーピック中佐と夫人(=母) 宛(1834年2月25日)

成績不振を両親に謝る手紙。

 

僕のは善良なのですから、を矯正しなければならないのではなくて、僕の精神を落ち着かせて、反省が刻みつけられて残るほどまでにしっかり反省させなければならないのです。

 

しかし何ものもを変えることはできませんから、欠点にもかかわらず、良い面はもっている僕のは、残っているのです。は僕に感じさせてくれました、僕は僕自身に絶望すべきではないと。

 

には全く関わりのないことなのです。軽率な生まれつき、打ち克ちがたい怠惰への傾向が、こうした過ちのすべてを犯させたのです。


心根はちゃんとしとるもんで、コントロールさえできればいいだよーという感じか。


あとは証明ということばが2つ。

 

恩知らず者だと思い始めていらっしゃるし、ことによるとそう確信しておいでかも知れません。どうやってその反対を証明してお目にかけたものか?

 

操行を改めることによって僕が完全に変化したことの証明をお目にかけるまでは…


原語がなんなのか分からんもどかしさ・・・(怠惰)

 

 

(『ボードレール批評4』 阿部良雄訳 / ちくま学芸文庫

 

 

ボードレール書簡(3)

けにち ボードレール 書簡

アルフォンス宛(1833年11月23日)リヨンから

 

兄さん、

送ってくださったユウェナーリスの立派な版にお礼を言うのが遅れたからといって少しも驚かないで下さい。…

 

ユウェナリス - Wikipedia

 

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」のひとらしい。

 

兄さんのユウェナーリスは素晴らしい、心底から、本当に、本当に、ありがとう

 

ボードレールがめちゃ感謝している。

 

義父オーピックもフェナキスティコープをプレゼント。

 

小さな鏡の入っているボール箱で…

…柄がひとつ付いていて…

まわり一面小さな孔を開けたボール紙の輪をはめます

 

・・・という説明通りの画像・動画は見つからなかったけれど、原理的にはこんな感じなんだろう。

「Phenakistoscope」の画像検索結果

 

 

1831年に発明されたこの玩具は19世紀の視覚変化を論じる文章でよく登場する。

 

フェナキスティコープは一人遊び用の引きこもりグッズだが

 

1883年発明のカイザーパノラマになればみんなで遊べる。

「フェナキストスコープ」の画像検索結果

 

(『ボードレール批評4』 阿部良雄訳 / ちくま学芸文庫

 

ボードレール書簡(2)

けにち ボードレール 書簡

異母兄のアルフォンス宛(1833年3月25日)

 
リヨン王立中学の寄宿生となっていた12歳のボードレール
 
 知り合いの生徒が自習監督にボコられた顛末を兄に手紙で知らせる。
 
兄さん、
中学では大変な噂です。
教員が、胸の苦しくなるほどに生徒をなぐったのです。
二日後、外出。僕が晩に帰って来ると、その生徒はもう身を支えていられなくなって医務室に入れられている…
看護婦さんは彼を免職にさせるべく全力をつくす決意をかためていますが、彼は校長のたいそうなお気に入りなので、まだ確かなことではありません。
僕は反乱者に加わっています。自習監督たちのご機嫌を損ねるのがこわいああいうごますりたちの仲間入りはしたくないのです。
自らの権利を濫用した者たちへの復讐。これはパリのバリケードに書きこまれていた文句です。
 
 
暴力的な自習監督の免職を校長に直談判するというのはあるあるで、文豪の学生時代の書簡や自伝によくでてくるけれど、それをバリケードや反乱と結びつけているのは初めて読んだかな。12歳でそんなこと思うのかなーとは思っちゃいかんのか。ただこのバリケードとは何年のことなのかわからんが(加えて直接見たのか又聞きなのか何かで読んだのかも)
 
 
反乱の弟。シャルル。
 
 

ボードレール書簡(1)

けにち 書簡 ボードレール

16歳年上の異母兄アルフォンスに送った手紙(1832年2月1日)より。

ボードレールは若干11歳。

義父オーピックの転任に伴いリヨンへ行くことになる。

 

馬車の中は

 

お察しの通り、兄さん、いつも動いているこの僕、いつもどちらかの足は浮かしているこの僕が、身動きもならず、ガラス窓に身を寄せるのがやっとでした。

 

「いつもどちらかの足を浮かしている」

11歳のボードレールにきゅんきゅんする。

 

そして馬車の狭さに辟易気味だったが

 

間もなく僕はふだんの通り快活になりました。…次々の宿駅をもうあまり覚えてはいませんから、晩に飛ぶことにします。日が暮れたので、ずいぶん美しい光景がみられました。つまり落日です。赤みがかったあの色は、この上もなく濃い色のズボンのように青い山々と、奇妙な対照をなしていました。

 

「晩に飛ぶことにします」

こういうラフなところにもまたきゅんとする

 

 

(『ボードレール批評4』 阿部良雄訳 / ちくま学芸文庫

カール・マルクス(佐々木隆治)

なおぴ

・メモ① 資本主義の起源

資本主義の起源はイングランドのエンクロージャーという話

 

マルクスによると

『暴力的に土地を収奪され、追放され、浮浪人にされた農村民は、グロテスクでテロリズム的な法律によって、鞭打たれ、焼印を押され、拷問されて、賃労働システムに必要な訓練をほどこされた』(『資本論』第一巻)

とのことで、

「すなわち、土地の事実上の所有者であり、ほぼ自給自足の生活を営んでいた農民を土地から引き剥がし、労働力しか売るものを持たない賃労働者を生み出すことによって、資本主義は生まれてきた」(p.184)

との解説。

 

・メモ② 労働について

「労働が生活のための糧を入手するためにやむなく行うものではなくなり、それじしんが人間にとっての喜びとなったとき......人々が自由に労働し、生産物を各自の必要性におうじて入手する社会が実現される」(p.202)

とのことだが、

 

それじしんを喜びとして労働している人も、周りに結構いる印象。専門職とか研究者の中には多いのでは。マツコの知らない世界とかに出てくる人たちも。

 

あと、何でもかんでもビジネスになる今だからこそ生活の糧になってるっていうものも多いと思うけど、そういうことで生きてる人はマルクスの考える未来社会ではどうなるのだろう。生きるために、好きなことをやめて他の人に必要とされることをするのか。

 

 

以上。 

 

マルクスはこれしか読んでないので感想しか書けなかったけど、機会があれば他のも読んでみます。

 

 

 

 

 

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